一生の記憶は、
一口の感動から。

北海道の新鮮なお魚と80年余り
北海道小樽で磨いた自慢の技術で、
おもてなしいたします。

政寿司のこだわり

おたる政寿司の海外第一号店MASAは、北海道小樽に本店を構える創業80年の北海道スタイルの寿司店です。新鮮で選び抜かれた本物の北海道食材を週4回に分け、常に新鮮な状態でお客様にご提供しております。
ノスタルジックな町、小樽を想わせる上質な空間、日本人寿司シェフが作り出す80年の伝統の技と日本流のおもてなしで、まるで北海道 小樽にいるかのような体験をしていただけます。 また、日本に精通した通訳スタッフを通して、北海道食材や北海道の寿司の魅力を最大限に知ることができます。私たちが最も大切にしていることは、北海道小樽の完全再現です。 このコンセプトを守り、お客様にとって「北海道を感じるならMASAしかない。」と言っていただけるよう、常に努力をしております。ランチは、2,000THB~4,000THB、ディナーは、4,500THBのMINI OMAKASEと7,000THBのOMAKASEがあり、気候や気温の変化にあわせて、 最上級の北海道食材を使用したお寿司と料理でおもてなしいたします。
MASAは、小樽までいかずとも小樽のおいしい寿司を食べることが出来る店、そして、創業100年を目指し、日々成長する店です。「本物は続く、続けると本物になる。」この言葉を胸に、 昨日の仕事より一歩進んだ今日の仕事をつくっていきます。ご来店されたお客様に、MASAがご提供する寿司とサービスを通して感動していただけることをお約束いたします。

大将の挨拶

私は小樽で生まれ、小樽で育ち、幼少より現在、政寿司の会長である父に寿司を学び、寿司とは切っても切れない人生を歩んできました。寿司とは、おいしさはもちろんこと、四季が明確な日本には多種多様な豊かな自然があり、そこで生まれた食文化もまた、これに寄り添うように育まれてきました。私たちもまた、食材の持ち味を最大限に生かした仕事をすることによって、日本の自然や四季と調和した独自性のある寿司を創り続け、世界に広めていきたいと願っております。その第一歩が、MASA-SiamTakashimaya店です。2010年より東京で約10年、銀座・新宿でおたる政寿司を発信し、2019年、世界の舞台に出て参りました。寿司を通して、世界中のお客様の喜びをつくり、関わる人達、地域、社会へ幸せを作っていく。私たちの理念『おいしさづくり、人づくり、幸せづくり』を80年そして、これからもつくり続けていくことが我々の使命でもあります。

政寿司の歴史

おたる政寿司の創業

中村正之助は第一次世界大戦が勃発した大正3年(1914年)、北海道の天塩に生まれた。ここで、尋常小学校3年まで過ごした後、両親に連れられて戦前は日本の領土だった樺太(サハリン)に渡る。
一家が住まいを構えたのは、漁港として知られた大泊市(コルサコフ)というところで、当時は樺太庁が置かれていた。この地で両親は林業に従事していた が正之助が小学校を卒業するのと合わせて小樽市に転居。小学校を卒業した正之助は市内の「黒田理 理髪店」で働き始めたが、5年後理髪店のご主人が亡くなったのを機に退職、稲穂町にあった自宅を改造し「処女林」というカフェを始める。

1935年

日本一の寿司職人になる

昭和10年、店を母と姉妹に任せ東京浅草の「特選亭」で寿司と天ぷらの店に住み込みを始める、その頃「おれは日本一の寿司職人になる」という夢が生まれ、浅草の繁華街で修業。昭和13年7月、「処女林」を模様替えして「政寿司」を開店。 わが政寿司の創業元年にあたる。

1947年

屋台の営業許可1号

昭和19年、日米戦争の敗色が濃くなるにつれ、寿司屋を続けることが難しくなりノレンを下ろす。やがて昭和20年1月、正之助は見合いをして結婚。空襲から逃れるため網走の北浜に疎開。8月15日終戦をむかえ古い時代と新しい時代のはざまで、31歳になっていた。今度は「食うための、生きるための」戦いを始めなければならない。

生まれてまだ、1歳の誕生日も迎えぬ長女静江(政寿司専務取締役)を連れて、親子3人で小樽に戻り、現在の政寿司本店がある妙見川の河畔で屋台を始める。屋台にも経済警察の目が光っていたが、正之助は一度も摘発を受けることなく、昭和22年正式な営業許可をもらう。これは小樽市内における屋台の許可第一号だった。

昭和23年に再開した政寿司本店

1948年

再び「政寿司」のノレンを提げる

昭和23年7月に長男全博(政寿司代表取締役)の誕生し、「後継ぎができたからにはもう一度、本格寿司で勝負しよう」と「おたる政寿司」本店がある花園1丁目1番地に再びノレンを提げた。店は木造2階立て(左写真)、建坪12坪で商売を始め、大当たりする。その半年後、店を増築し建坪30坪の規模に倍増。

昭和43年7月1日、新築オープンした小樽本店

1973年

2代目、政寿司入社

長男全博(政寿司代表取締役)が政寿司に入社した昭和48年は、秋口から第一次オイルショックが日本を襲った。小樽の花園繁華街も夜はすっかりさびれ、店の上得意だった会社が倒産したりして、お客さんも激減した。そこにPCB(ポリ塩化ビフェニール)による魚介類の汚染問題がクローズアップされ、寿司屋や魚屋からますます客足が遠 のき、 店の実績はいっきに悪化した。 そういう事が伏線としてあり、 正之助の一番弟子が政寿司を辞めたのは、 翌昭和49年だった。

1977年

高級化と大衆化に二極分化

昭和52年頃、政寿司は小樽という港町ならではの新鮮で豊富な魚介が売り物だったが、メニュー ひとつあるわけでなし、お客さんも通の常連さんばかりで、一見の客が入ってこようものなら、職人がにらみ返すような雰囲気になっていた。これでは、どちらがお客かわからない。これからの寿司屋は専門店の大衆化をはからなければならない、メニューをきちんと掲げて、値段も表示していかなければ取り残されると考え昭和54年7月1日、本店の店長に就任した長男全博(政寿司代表取締役)はさっそく大衆路線を打ち出した。

昭和54年7月 鉄骨3階建てとなった小樽本店

1987年

創業者の永眠と魚供養感謝祭
晩年、正之助は糖尿病が悪化し足を手術。車イスの生活を余儀なくされ、毎日のようにレジの前で仕事をするわけでもなく、にこにこしながら車イスでお客さんを出迎えていた。 その頃、正之助は「お客さんやご先祖さまに感謝するだけでなく、魚にも感謝しなければならない」と亡くなる少し前に話していた。講演会がきっかけで大阪府堺市の漁師から聞いた話によると、 昭和50年代になって二百カイリ漁業水域、いわゆる二百カイリ問題が起きて漁業が規制され、魚がほとんどとれなくなり、漁師が悩んでいた。 すると「陸の資源は掘ればいい。海の資源は感謝すればいい」と助言してくれた方がいた。そこで、漁師は魚たちに感謝しようと「感謝塔」を建立し、

毎日お参りするようになった。すると1ヶ月後、自分達の船のまわりにマグロの大群が押し寄せてきた。それも2年連続で・・・。その話を聞き長男全博(政寿司代表取締役)は「ニシンに感謝したら、かつてのように小樽にもニシンが戻ってくるかもしれない」と考えた。講演会を終え、小樽に戻ってきた長男全博(政寿司代表取締役)は正之助と話合いをした。それを聞いたご住職も 「そう言えば、海には魚籃観音さまという、ビクを手に下げて大きな魚に乗っかっている“魚の社長”さんもおられますな。年に1回魚籃観音さまをお祭りして感謝する会をやりましょうか」と賛成して下さった。そして、「来年になったら感謝祭を催そう」という段取りで進めていたら、12月10日突如、正之助が永眠。故人との最後の約束を実現する為、昭和62年7月1日、政寿司の近隣の寿司屋さんを招いて「魚供養感謝際」を催した。

1987年

おたる寿司屋通りの誕生

「魚供養感謝際」に参加された寿司屋さんたちがとても感動され、「感謝祭は、われわれ寿司屋が商売する以前の問題としてやらなければならない」「われわれの手で今後も続けていこうじゃないか」と話がまとまり、その年の10月4日、「おたる寿司屋通り会」を発足。おたる寿司屋通り会の行事としては、魚供養感謝祭を催すだけでなく、「自分達の親父さん達が作り上げた小樽の寿司を全国に広めていこう」ということになった。

1990年

第二の創業

創業者の正之助が亡くなって空席になった「社長」に正之助の妻泰子が就任したが、昔から何かと相談相手になってくれているお客さんたちから「二代目も40歳になるんだから社長にしなさいよ」と言われたらしく、平成2年2月21日、長男全博(政寿司代表取締役)が社長となる。

平成7年、>新築5階建てとなった本店

1995年

本店新築と経営理念の構築

「おたる政寿司」は平成7年12月、五階建ての本店を新築。バブル景気が崩壊して日本経済の右肩下がりが続く中の大きな決断だったが、政寿司の社員が百人を超したこともあり、さらなる飛躍をはかる為にはどうしても必要だった。

おたる政寿司の創業

中村正之助は第一次世界大戦が勃発した大正3年(1914年)、北海道の天塩に生まれた。ここで、尋常小学校3年まで過ごした後、両親に連れられて戦前は日本の領土だった樺太(サハリン)に渡る。一家が住まいを構えたのは、漁港として知られた大泊市(コルサコフ)というところで、当時は樺太庁が置かれていた。

この地で両親は林業に従事していたが正之助が小学校を卒業するのと合わせて小樽市に転居。小学校を卒業した正之助は市内の「黒田理理髪店」で働き始めたが、5年後理髪店のご主人が亡くなったのを機に退職、稲穂町にあった自宅を改造し「処女林」というカフェを始める。

1935年

日本一の寿司職人になる

昭和10年、店を母と姉妹に任せ東京浅草の「特選亭」で寿司と天ぷらの店に住み込みを始める、その頃「おれは日本一の寿司職人になる」という夢が生まれ、浅草の繁華街で修業。昭和13年7月、「処女林」を模様替えして「政寿司」を開店。 わが政寿司の創業元年にあたる。

1947年

屋台の営業許可1号

昭和19年、日米戦争の敗色が濃くなるにつれ、寿司屋を続けることが難しくなりノレンを下ろす。やがて昭和20年1月、正之助は見合いをして結婚。空襲から逃れるため網走の北浜に疎開。8月15日終戦をむかえ古い時代と新しい時代のはざまで、31歳になっていた。今度は「食うための、生きるための」戦いを始めなければならない。

生まれてまだ、1歳の誕生日も迎えぬ長女静江(政寿司専務取締役)を連れて、親子3人で小樽に戻り、現在の政寿司本店がある妙見川の河畔で屋台を始める。屋台にも経済警察の目が光っていたが、正之助は一度も摘発を受けることなく、昭和22年正式な営業許可をもらう。これは小樽市内における屋台の許可第一号だった。

昭和23年に再開した政寿司本店

1948年

再び「政寿司」のノレンを提げる

昭和23年7月に長男全博(政寿司代表取締役)の誕生し、「後継ぎができたからにはもう一度、本格寿司で勝負しよう」と「おたる政寿司」本店がある花園1丁目1番地に再びノレンを提げた。店は木造2階立て(左写真)、建坪12坪で商売を始め、大当たりする。その半年後、店を増築し建坪30坪の規模に倍増。

昭和43年7月1日、新築オープンした小樽本店

1973年

2代目、政寿司入社

長男全博(政寿司代表取締役)が政寿司に入社した昭和48年は、秋口から第一次オイルショックが日本を襲った。小樽の花園繁華街も夜はすっかりさびれ、店の上得意だった会社が倒産したりして、お客さんも激減した。そこにPCB(ポリ塩化ビフェニール)による魚介類の汚染問題がクローズアップされ、寿司屋や魚屋からますます客足が遠 のき、 店の実績はいっきに悪化した。 そういう事が伏線としてあり、 正之助の一番弟子が政寿司を辞めたのは、 翌昭和49年だった。



1977年

高級化と大衆化に二極分化

昭和52年頃、政寿司は小樽という港町ならではの新鮮で豊富な魚介が売り物だったが、メニュー ひとつあるわけでなし、お客さんも通の常連さんばかりで、一見の客が入ってこようものなら、職人がにらみ返すような雰囲気になっていた。これでは、どちらがお客かわからない。これからの寿司屋は専門店の大衆化をはからなければならない、メニューをきちんと掲げて、値段も表示していかなければ取り残されると考え昭和54年7月1日、本店の店長に就任した長男全博(政寿司代表取締役)はさっそく大衆路線を打ち出した。

昭和54年7月 鉄骨3階建てとなった小樽本店

1987年

創業者の永眠と魚供養感謝祭

晩年、正之助は糖尿病が悪化し足を手術。車イスの生活を余儀なくされ、毎日のようにレジの前で仕事をするわけでもなく、にこにこしながら車イスでお客さんを出迎えていた。

その頃、正之助は「お客さんやご先祖さまに感謝するだけでなく、魚にも感謝しなければならない」と亡くなる少し前に話していた。講演会がきっかけで大阪府堺市の漁師から聞いた話によると、昭和50年代になって二百カイリ漁業水域、いわゆる二百カイリ問題が起きて漁業が規制され、魚がほとんどとれなくなり、漁師が悩んでいた。

すると「陸の資源は掘ればいい。海の資源は感謝すればいい」と助言してくれた方がいた。そこで、漁師は魚たちに感謝しようと「感謝塔」を建立し、毎日お参りするようになった。

すると1ヶ月後、自分達の船のまわりにマグロの大群が押し寄せてきた。それも2年連続で・・・。その話を聞き長男全博(政寿司代表取締役)は「ニシンに感謝したら、かつてのように小樽にもニシンが戻ってくるかもしれない」と考えた。講演会を終え、小樽に戻ってきた長男全博(政寿司代表取締役)は正之助と話合いをした。それを聞いたご住職も

「そう言えば、海には魚籃観音さまという、ビクを手に下げて大きな魚に乗っかっている“魚の社長”さんもおられますな。年に1回魚籃観音さまをお祭りして感謝する会をやりましょうか」と賛成して下さった。そして、「来年になったら感謝祭を催そう」という段取りで進めていたら、12月10日突如、正之助が永眠。故人との最後の約束を実現する為、昭和62年7月1日、政寿司の近隣の寿司屋さんを招いて「魚供養感謝際」を催した。

1987年

おたる寿司屋通りの誕生

「魚供養感謝際」に参加された寿司屋さんたちがとても感動され、「感謝祭は、われわれ寿司屋が商売する以前の問題としてやらなければならない」「われわれの手で今後も続けていこうじゃないか」と話がまとまり、 その年の10月4日、「おたる寿司屋通り会」を発足。おたる寿司屋通り会の行事としては、魚供養感謝祭を催すだけでなく、「自分達の親父さん達が作り上げた小樽の寿司を全国に広めていこう」ということになった。

1990年

第二の創業

創業者の正之助が亡くなって空席になった「社長」に正之助の妻泰子が就任したが、昔から何かと相談相手になってくれているお客さんたちから「二代目も40歳になるんだから社長にしなさいよ」と言われたらしく、平成2年2月21日、長男全博(政寿司代表取締役)が社長となる。

平成7年、新築5階建てとなった本店

1995年

本店新築と経営理念の構築

「おたる政寿司」は平成7年12月、五階建ての本店を新築。バブル景気が崩壊して日本経済の右肩下がりが続く中の大きな決断だったが、政寿司の社員が百人を超したこともあり、さらなる飛躍をはかる為にはどうしても必要だった。

お品書き

コース紹介

MASAでは旬の食材を使った
様々なコースをご用意しています。

ランチ

政寿司 - MASA SUSHI - 3,790 THB
日本で一番人気のコースです。
-寿司8貫・刺身・スープ・デザート-
薊 - AZAMI - 1,990 THB
握りだけをお召しあがりたい方にお勧めです。
-寿司10貫-
旬華 - SHUNKA- 1,490 THB
平日ランチ限定のメニューです。
※月曜日〜金曜日 10:00〜14:30のみオーダー可能です。
おすすめ9貫とお好きなネタ1貫をお選び頂けます。
-前菜小鉢・握り9貫・お好きな握り1貫・味噌汁・デザート

ディナー

おまかせ -OMAKASE-
6,000 THB
懐石料理のスタイルを取り入れたコースとなっております。
ミニおまかせ -Mini OMAKASE -
4,000 THB
シェフのお勧めをお召し上がり頂き、その後、お好みでオーダーしたい方にお勧めです。

お飲物紹介

日本酒、ワイン、シャンパンなどお料理にあうお飲み物を多数ご用意しております。

MASAおまかせの
楽しみ方

はじめ
-STARTER-

はじめ
-STARTER-

北海道産さつまいものポタージュ / うに茶碗蒸し / うにと毛がにの雑炊 / きのこのスープ

まず初めに、温かな料理をお召し上がりください。
胃を温めこれからの料理が一層美味しく召し上がれます。

握り01
-First Stage NIGIRI-

【1貫目】松皮かれいの昆布〆 肝ポン酢
【2貫目】時知らずの醤油漬け
【3貫目】にしん ねぎしょうが

北海道の代表的な寿司種をお召し上がりください。

握り01
-First Stage NIGIRI-

内付
-Special SASHIMI-

内付
-Special SASHIMI-

小樽漁師が教わったいかそうめん

おたる政寿司で一番人気の漁師料理。
うにダレでお召し上がりください。

握り02
-Second Stage NIGIRI-

【4貫目】特大ぼたん海老 冷水洗い
【5貫目】えび味噌軍艦

北海道でも貴重なサイズのぼたん海老です。
船内で急速冷凍し、鮮度を維持しております。
おすすめはえびの味噌、えびの旨味が凝縮された濃厚な味です。

握り02
-Second Stage NIGIRI-

小鉢
-Hokkaido Special Delicacy-

小鉢
-Hokkaido Special Delicacy-

春:毛がに 夏:ほたるいか
秋:鮟鱇の肝 冬:真鱈の白子

旬な北海道珍味をお召し上がりください。

握り03
-Third Stage NIGIRI-

【6貫目】ひとくちいくら 醤油漬け
【7貫目】海水うに 藻塩

厳選された晩秋に獲れたいくらを日本酒と醤油のみで味付けた自慢の逸品です。うには、塩水に浸かった状態で届けられるそのままの状態です。

握り03
-Third Stage NIGIRI-

八寸
-Hokkaido Special Appertizer-

八寸
-Hokkaido Special Appertizer-

北海道牛のローストビーフシャリビアンソース
鮭の切込み漬け
-チーズ豆腐またはごま豆腐

北海道を感じられるオードブルです。すべて自家製で仕込んでおります。

握り04
-Final Sushi-

【8貫目】大とろの炙り
【9貫目】政のカステラ玉子焼き

握りの締めは、自社で買い付けしている
自慢のカナダ産天然本まぐろ

握り04
-Final Sushi-

止碗
-Special MISO Soup -

止碗
-Special MISO Soup -

魚と海苔のあら汁

デザート
-Dessrert -

抹茶アイス最中

最後の締めは、最中の皮を炭火で焼き、パリパリの皮に抹茶アイスを挟んだ日本らしいデザートです。手渡しでお渡しいたします。

デザート
-Dessrert -

店舗紹介

おたる政寿司本店

北海道小樽市花園1丁目
1番1号(寿司屋通り)
Tel. (0134) 23-0011
masazushi.co.jp

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おたる政寿司ぜん庵


北海道小樽市色内 1-2-1
Tel. (0134) 22-0011
masazushi.co.jp

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おたる政寿司銀座


東京都中央区銀座 1-7-7 POLA
銀座ビル 10F
Tel. 03-3562-7711
masazushi-ginza.com

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おたる政寿司新宿店


東京都渋谷区千駄ヶ谷 5-24-2
タカシマヤタイムズスクエア 14階
Tel. 03-5361-1937
masazushi-shinjuku.com

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ギャラリー

店内の壁には札幌軟石、カウンターにはヒノキ、お客様にお座りいただく椅子は本革の日本製の生地を使用しております。個室の照明には小樽のガラス職人が制作した、ガラスのシャンデリアで店内を暖かな雰囲気で包みます。また店内を入ってすぐ目に止まるガラスパネルは上部は小樽に舞う雪、下部は小樽の海を感じさせる波を表現しております。

外観は小樽の倉庫街をイメージした門構えになっております。皆様足元を照らすライトは小樽で毎年、開催されるお祭り「小樽雪あかりの路」のスノーキャンドルをイメージしております。お食事はもちろんのこと、MASAではお店全体を通して小樽を感じられるよう空間にもこだわりをもってお客様をお迎えいたします。

アクセス

MASA -Otaru Masazushi Bangkok-
4th Floor,Siam Takashimaya(ICON SIAM)

299 Charoen Nakhon 5 Alley, Khwaeng Khlong Ton Sai, Khet Khlong San,
Krung Thep Maha Nakhon 10600

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